自分にとっての表現手段 〜Ars Electronica 2017と研究〜




久しぶりの投稿になります(気づけば1ヶ月ぶり…)

9月上旬は Ars Electronica Festival 2017
中旬は CHI 2017 submission deadline
と忙しいシーズンが続き、結局CHIはsubmitができず、反省の熱が冷めない今日この頃です。

そんな中、久しぶりに刺激的なものを見ました。

山田孝之のカンヌ映画祭

entertainmentstation.jp

オープニングの曲が山田孝之フジファブリックのコラボということで話題になってて、曲自体も聞いてはいたのですが、なぜか作品自体は見ておらず。

Netfilxでたまたま見かけ、ちょっと様子だけ、と見てみたら、全12話一気見してしまいました。

「俳優・山田孝之×監督・山下敦弘×監督・松江哲明という組み合わせの作品は2作目で、前作の山田孝之東京都北区赤羽も大好きなのですが、今回の作品は前作よりもっと好きです。
ほんとに。たまらない。

編集やテンポ感、空気感は前作と大きくは変わらない感じですが、中身の濃さがある意味異常です。

ベンチャーであり、クリエイティブなものづくりの企画屋サイドの裏側を全て見ることができます。

ネタバレしないために、結論は書きませんが、自分の身の丈をはみ出したクリエイションをしようとしたことのある人全てが一度は通る道だと思います。
僕もちょうど一年前に、この映像作品内よりだいぶ規模は小さいですが、同じように自分で企画をしました。

そんな作品を見たというのがきっかけで、大学の後期授業が始まる前に何か書かなきゃなと思っていたブログを今書いている次第であります。

今日のエントリーは、まぁポエム寄りです。
最近受けた刺激から、自分の解釈に落としたことと、そっからどうするかについて雑記する感じになると思います。

それではイッテミヨー

Ars Electronica Festival 2017

 

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行ってきました Ars Electronica
筑波大学に入る前に比べると、だいぶアート熱は下火になってるので、そこまで過剰な期待もしていなかったですし、実際に行ってみても予想を大きく上回ることが特になかったな、というのが今回の印象でした。

商業的といいますか、人を集めるブースは企業持ち出しのブースが多く、
金のあるところが作るおっきいものに人も集まるという感じの、エンターテイメント性の強めな感じです。

自分の研究ネタや考えるネタに少しなるものはいくつかありましたが、自分の本質をぐらつかせるようなものには出会えなかったです。

ただ、行ってよかったなというのは予想外の出来事から感じるものだったりするもので、
まさかまさかの
落合さん・藤幡正樹さん(メディアアーティスト)・石井裕さん(MIT)・久納さん(プラプラックス)・写真家の方
というメンバーの飲み会に同席させてもらえたのでした。

それが Ars の一番の思い出です。
ちなみに、石井先生との思い出は

です。
あまりにも低いTOEFLの点数を伝えたら、タコだと言われました。

この会は、前半が石井先生の質問しまくりto藤幡さん後半が石井先生帰られた後の落合さん・藤幡さん談義を聞くという贅沢な会だったわけですが、
普段、落合さんばかりを見ている分、余計にそう感じるのだと思いますが、藤幡さんのアートに対する姿勢はめちゃくちゃプリミティブでした。
(そして少し驚いたことに、そのプリミティブなところに落合さんも共感的でした。ただそこは↓のツイートにもあるように、元来落合さんのもつ願望的なところを考慮すると当たり前のことかもしれません。「元々手間暇が好きだった」)

この会で得た情報は、正直フィジカルに体験してこその価値で、温度のないTextにするのはものすごくためらわれるのですが、その中でも心に残ったことを一つあげるとすれば、

「アートはその人から見た世界のこと」

という解釈になります(これは藤幡さんの言葉を僕が受け取った上で記憶に残っている言葉に過ぎません)。

フェチの極み、とも言えるかもしれません。

この手の話は、プリミティブ故に、僕は最近見向きしようとしていなかったし、Textで見ても仕方のない話だった分、藤幡さんの物理的存在からその言葉・解釈を体感できたのが、とてもよかったです。

そして同時に、自分にとっては何が当たるか、という疑問に変換されていきました。

話は飛び飛びになりますが、石井先生も、ある種フェチの極みの人です。
PassionPhilosophyを重んじます。
研究のモチベーションの先にある、individualな価値観を欲しているように感じました。

石井先生は「君にとってのヒーローは誰だ」というような問いを体から発していましたが、それはフェチの極みと言えると僕は思います。

自分にとっての話をすると

さて、アルスでのそんな体験もあり、CHIに向けて研究を進める期間もあり(結局提出できなかったが!!)、更に

yamamoto-info.hatenablog.com

このコミュニティで集まった人と会って自分の話をしている中で、

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少し自分のことがわかった部分があるので、そのことを書いておきます。

研究するしかない

自分にとって、表現をする上で今一番いいのはやっぱり研究しかない、というところに行き着きました。

例えば、何かものづくりをするときに、目標にするラインがあります。
でも、僕は基本的にそのラインが高めです。
そして、自分一人でやるにはあまりにラインが高過ぎてしまいがちです。
複数人でやれば何とかなる場合もありますが、複数人でやる時の諸々が成長スピードの維持を阻害してきます。

そうして、何もできないというのが今まで僕が大抵陥ってきたパターンです。

しかし、研究だけは今唯一、「自分一人で進めることが多いが、面倒な諸々は割と少なく、自分が設定するラインにもギリギリ到達するかも」というものなのです。
これはもちろん、落合研という整備された環境があってこその話なのは間違いありません。

ただ重要なのはその環境ではなく、自分に一番フィットするのが今は研究しかないという結論に至ったことです。

自分にとってのフェチを極めるには、今は研究が最適なのです。

だから、研究で成果を出して形にすることが、僕にとってのアート活動的なことなのです。

何が自分にとってのフェチか

で、何をするかといえば、これに尽きます。

今の一つの目標は、これをどうやって実現するかというようなところに尽きます。

自分の興味は主に2つです。

  • 空間

これを自分の感覚で良いと思えるものを突き詰めていく。それができるのは今は研究だけなんだな、と。

なので、そこに向けて改めて頑張っていこうと、気を引き締めている今日この頃なのです。

P.S.

最近話題の登美丘高校のダンス部
でも、バブリーダンスとかより断然こっちの方が僕は好きです。

www.youtube.com

ダンス部を指導するAkaneさんの学生時のやつらしいですが、こっちの方が良いです。
フェチの極みで、その人から見た世界っていう感じがあります。




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