なぜ落合陽一の『4分33秒』がエモいのか




序論

先日,『耳で聴かない音楽会』が開催された(僕は関わっていない).
その感想や落合さんの言葉が少し話題になっていた.

奇しくもそのツイートのあった夜,落合さんと研究員の方と三人で食事する機会があった.そのときに聞いたこととこのツイートと,なぜ今回の話がエモいのか,僕なりに少しだけ記述してみようと思う.

本論

現場で何が起きていたのか,自分の目で見ることができなかったのは悔しい.
ツイートのことや落合さんの話を元に語るならば,端的に言えば「『4分33秒』を聴覚に難を抱える人も自然と音楽として体感した」ということである.

そもそも『4分33秒』とは何かという話がある.

1950年代初頭にケージが創始した偶然性の音楽、不確定性の音楽の最も極端な例である。偶然性の音楽には鈴木大拙の禅などの東洋思想の影響があり「音を音自身として解放する」「結果をあるがままに受け入れる」という姿勢がある。

1940年代末のある日にハーバード大学の無響室を訪れ、「無音」を聴こうとして無響室に入ったが「二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと彼は、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音。」だとのちに語った。無音を体験しようとして入った場所でなお、音を聴いたことに「私が死ぬまで音があるだろう。それらの音は私の死後も続くだろう。だから音楽の将来を恐れる必要はない。」[3]と強い印象を受けて「無音の不可能性」をみたという認識が、後の『4分33秒』へ彼を導いた。

この前半部分の「偶然性の音楽」「不確定性の音楽」,またそもそも「音楽とは何か」という問い直しの姿勢.これは以前の記事にもあげたような,音楽の行き詰まりからの逆説的な定義の歴史の一部と捉えることができよう.

「音遊び」は,20世紀ニューヨーク発の「ミニマル・ミュージック」で,コミュニケーション論を背景に逆説的に「芸術」と位置付けた経緯がある.そして,ニューヨークやサンフランシスコから出現した音楽,美術,ダンスの新しい流れは,芸術表現の「特別な技術」や「非日常性」に代えて「共有と参加」や「日常」を主題とした.そして,「ミニマル」は,カナダのマーリー・シェーファーの「サウンドスケープ」や「音環境論」に受け継がれ,同じトロント出身マクルーハンのメディア論に音楽教育メソッドを重ねた「音探しごっこ」となって,昨今のアートフェスにも登場している.

また,この『4分33秒』が音楽全体の中の話で言えば,いかに文脈的かというのは,こういった評説が行われることからもわかる.

僕は音楽畑の人間ではないから,関わってきた尊敬できる先生たちの話から考えているだけに過ぎないが,『4分33秒』は文脈性の非常に強い現代音楽史における「音楽の再定義」の代表作の1つと考えている.

さて,そんな中で今回の『4分33秒』の持つ意味とは何であろうか.
僕なりの解釈はこれだ.

要は,文脈的に,感覚的に,経験的に音楽というものを捉え直し,新たな境地を切り開こうと模索を続けてきた現代音楽の歴史に対し,「ほんとは芸術における<技術>という意味にちゃんと着目して戦ってくるべきじゃなかったん?」というカウンターパンチを思いっきり浴びせているというわけなのだ.

そして奇しくも,今回の観客の声がそれを証明してしまっているかもしれない,というのが最高に興奮するポイントである.

もちろん,『4分33秒』を神経系の音や血流の音というコンテンツ性に着目して,「そもそも落合陽一の『4分33秒』は…」と考えることはできる.
しかしながら,落合さんは音楽を作る人ではない.アートとサイエンスの交差点に息づく<メディアアーティスト>である.
そしてその核なる思想は,「文脈の世界を捨てて,原理の世界へ」というもの.
芸術における<技術>にもっとフォーカスを戻して作ろうということなのだ.
だから,今回の話もその延長として捉えるべきなのだと僕は思う.

現場に居合わせた現代音楽家の人は「やられた」という感じで悔しがっていたそうだ.

「4月は個展とこの『4分33秒』がやれたからよかった」

今月は落合陽一史におけるエポックメイキングな日々として刻まれていくのかもしれない.




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